株式会社HQ(東京都千代田区)は2025年12月11日、同社が提供する法人向けコーチングサービス「コーチングHQ」がライオン株式会社(東京都台東区)に導入されたことを明らかにした。ライオンがジョブ型人事制度と職群制度に基づく専門人材の育成支援として外部コーチングを全社的に導入するのは初めてで、学びの定着と自律的成長を促す仕組みとして注目される動きだ。
ライオンは中長期経営戦略「Vision2030」の一環で2023年にジョブ型人事制度を導入し、専門領域ごとの「職群」を設定してきた。2025年から本格運用が始まったこの制度のもとで、職群単位による人材育成を強化しているが、既存の研修やeラーニングでは実務への定着が不十分との課題を抱えていた。HQのコーチングサービスは、個別の課題と行動変容を支援する双方向対話を通じ、学びを実践に結び付ける点が評価された形だ。
ジョブ型人事制度に合わせ人材育成を再構築
ライオンの職群制度は、専門性の近い職種を横断的に束ね、プロフェッショナル人材の育成を狙う枠組みだ。同社ビジネス開発センターの高橋潤エキスパートは、人事主導の研修や各種学習プログラムに加え、自ら学びを定着させる支援策を模索してきたと説明する。学びの定着を支える手段として「第三者との深い対話」を可能にするコーチングを選定し、職群施策に組み込んだ。
コーポレートコミュニケーションセンターの山岸理恵子部長も、管理職になると社内で本音を話す機会が減るなかで、外部コーチによる客観的な問いかけや傾聴が思考整理に役立つと強調。コーチングを通じて上司と部下の1on1面談の質を高め、職群全体のパフォーマンス向上にも波及することを期待していると述べた。
高満足度が後押し 管理職層で効果実証
最初の導入対象は部長・マネージャークラスで、希望者を中心にセッションが実施された。受講者アンケートでは「大変満足」が57.7%、「やや満足」が34.6%と9割超が肯定的に評価。セッション後の気づきを職場で共有する動きも広まりつつあるという。高橋氏は「非管理職層こそ自己成長の機会として活用してほしい」と述べ、今後は一般社員への展開を計画している。
コーチングHQは、企業が選定したテーマで有資格コーチが対応するサービス。費用を抑えながら一定水準の質を確保する設計が特徴で、「コーチングの民主化」を掲げるHQの理念にライオンが共鳴した点も導入決定の要因となった。
HQ、福利厚生と人材開発を融合した事業構想
HQは2021年に設立されたスタートアップで、「福利厚生をコストから投資へ」を理念に掲げ、企業の従業員体験(EX)基盤構築を支援している。クーポン型福利厚生「トクトクHQ」や次世代プラットフォーム「カフェテリアHQ」など複数サービスを展開し、従業員の多様な働き方を支える仕組みづくりに注力している。坂本祥二代表は、社会課題の解決と企業価値の両立を掲げ、同社を総合福利厚生プラットフォームへ成長させる計画を示している。
同社は2022年にシリーズAとして7億円、翌年にシリーズBで20億円を調達し、サービス領域を拡大。2025年には法人コーチング事業「コーチングHQ」を投入し、組織開発分野にも進出した。業界関係者の間では、低コストで専門コーチを活用できる仕組みが中堅企業や地方拠点への組織開発施策に波及する可能性も指摘されている。
「コーチングHQ」、多様な課題に対応するテーマ構成
同サービスは所属コーチ全員が有資格者で構成され、企業の課題に応じて約20種類のテーマから選択できる。内容はキャリア形成やリーダーシップ、コミュニケーション強化など幅広く、1回ごとに個別マッチングされる仕組みだ。ライオンでは、社内研修で得た知見の定着を目的に、対話による自己理解と行動変容を促す手法として活用する。
また、受講者は自由なテーマ設定と柔軟なスケジュール調整が可能で、業務の合間にも参加しやすい仕組みを整えた。従来型研修では拾えなかった“個の深掘り”に焦点を当て、個々の専門職志向に合った支援を実施する点で、他社の人材育成体系にも応用可能とみられる。
組織文化への浸透を目指す現場主導の試み
導入当初は、山岸氏が職群リーダーとして自ら社内メールで呼びかけを行い、不安や抵抗感を低減する説明を重ねた。動画や資料を活用した情報共有により、全体的に受講への抵抗は少なかったという。「ありがたい」という感想が連鎖し、職群内での参加意欲が高まっていったことも特徴だ。職場での体験共有が自然な会話として広がるようになれば、コーチング文化の定着につながると見られている。
管理職に加え、今後は若手・中堅層への展開を視野に入れる。ライオンの現場では、キャリア形成や目標設定を支援する場として社内1on1が浸透しつつある。今回の導入はそれを外部専門家と連動させ、より個別最適な支援網へ進化させる目的がある。
ジョブ型人事制度では、職務単位で専門性を評価するため、個人のスキルと行動の可視化が鍵を握る。コーチングHQを通じた個別支援により、社員が学びや経験を自ら言語化し、短期目標と長期的キャリアを統合的に捉えることが期待されている。高橋氏は「ライオン・キャリアビレッジなど既存施策を点ではなく線で接続し、学びの総合支援体系を作る」と語り、コーチングを既存教育体系の“ブリッジ”として位置付けた。
福利厚生市場にも波及、社員体験向上の新潮流
福利厚生分野では、これまで「金銭的支援」や「利用補助」が中心だったが、近年はメンタルケアやキャリア支援など“内面的投資”への転換が進む。HQのようなコーチング型サービスを導入する企業は増えており、人的資本経営やエンゲージメント向上を重視する潮流と重なる。採用・定着競争が激化するなかで、ライオンの取り組みは企業文化の深化とパフォーマンス向上を両立させる実践事例として他社の関心を集めている。
今後の展望 職群単位での文化定着へ
ライオンでは次の段階として、各職群でコーチング活用を自律的に回す仕組みづくりを進める。今後は管理職を目指す層への拡大や、コーチ的関わりを学ぶ社内研修への応用も検討中だ。山岸氏は「キャリア上の悩みを整理し、管理職になったときに部下の成長を支援できるようになる循環を生みたい」と語る。高橋氏も「学びの点を結び、現場課題の解決につなげることが理想」と話し、制度と人の両面での発展を目指す構えだ。
業界では、ライオンのように大手メーカーが専門領域ごとの人材育成に外部コーチングを組み込む動きはまだ少ない。今後、人的資本の強化を掲げる企業が増えるなか、同社の取り組みが他社の参考モデルとなる可能性がある。企業の人材開発戦略と従業員支援策がどこまで融合できるかが、これからの人事施策の焦点となりそうだ。