幸楽苑(福島県郡山市)は、2010年代後半から続いた業績悪化局面を脱し、2024年3月期に黒字化した後も好調を維持している。関西から撤退するなど縮小を余儀なくされたが、足元では客数も回復基調にある。同社は経営体制やメニュー構成の見直しを進めてきた。低価格路線が収益を圧迫してきた構造を改め、収益確保の動きが外食の出店戦略にも波及しそうだ。
今回の回復局面では、幸楽苑の新井田傳氏が2023年6月に社長へ復帰し、既存の施策である不採算店の閉店や段階的な値上げに加え、新メニューの拡充を進めた点が軸になる。幸楽苑は2024年度から非連結決算を採用しているが、非連結化前の基準では2025年3月期の売上高が前年比約10億円増の約278億円となり、営業利益も前年の3300万円から10億円超へ拡大した。低価格に依存した販売構造からの転換を急いだことが、業績の持ち直しにつながった位置づけだ。
売上278億円へ回復
幸楽苑は非連結化前の基準で、2025年3月期の売上高が約278億円と前年比で約10億円増えた。営業利益は前年の3300万円から10億円超へと伸長した。2026年3月期は同じく以前の基準で、売上高290億円、営業利益13億円を予想している。
2010年代後半以降の苦戦が長期化した同社にとって、黒字定着を示す数字となった。
運営面では、不採算店の閉店を継続しつつ、段階的な値上げを進めた。
加えて、2023年度以降は定食メニューを拡充し、ディナーセットを「中華ダイニング」にリニューアルして麺類以外のセットメニューを増やした。これにより、昼と夜の売上構成比は6対4から5対5に変化したという。客数も、2024年3月期は2020年3月期比で7割ほどに落ち込んでいたが、翌年度以降の客数推移を加算すると現時点で9割水準まで回復している。
290円中華そばが重荷
幸楽苑は1954年に福島県会津若松市で創業した「味よし食堂」をルーツとし、1967年に「幸楽苑」へ改称した。1970年に法人化し、福島県を中心に直営方式で北関東や埼玉・千葉へ進出して店舗網を広げた。2001年には新業態店として「幸楽苑」をオープンし、当時のデフレ環境のもとで低価格を訴求した。麺やギョーザの自社製造工場を既に保有していたことが低価格提供を可能にし、2006年から「中華そば」を290円で提供して支持を集めた。
一方で低価格路線は、原材料費の上昇局面で収益を圧迫した。営業利益は2ケタ億円を維持していたが、2013年以降は1ケタ台に落ち込み、2018年3月期には赤字に転落した。中華そばは麺類売り上げの3割を占め、販売が増えるほど利益を圧迫する構造だった。東北・北関東のロードサイドではドミナント出店で低コスト化を実現した反面、新たに進出した関西では黒字店が少なく、収益確保に苦戦した。2018年3月期に京都工場を売却し、その後に西日本から撤退した。
コロナ禍で赤字20億円
幸楽苑は店舗のスクラップ&ビルドを進め、2019年3月期は16億円の黒字となった。ただ、2019年度は台風による郡山工場の操業停止の影響を受け、その後はコロナ禍の影響が重なった。赤字は一時20億円に膨らみ、この間にグループ店舗数は100店舗以上減少した。
外食全体ではコロナ禍で都市部が苦戦する一方、ロードサイド業態は比較的堅調で回復が早い傾向がみられたが、幸楽苑はその傾向から外れた。
ロードサイドでは家系ラーメンの町田商店が勢力を伸ばすなど競争環境も変化した。町中華メニューを中心とする幸楽苑は麺類でユニークな特徴が見られず、集客力で劣っていたのではないかと分析されている。サイドメニューの種類も十分ではなかったという。
さらに、低価格を目当てとする客が多い中で、290円ラーメンの廃止や段階的な値上げが客離れを招いたと考えられる。背景には、低価格を前提にした需要の取り込みと、コスト上昇局面での収益確保の両立の難しさがあった。
6月に新社長へ交代
経営体制も揺れた。新井田傳氏の息子である新井田昇氏が2018年に社長へ就任し、傳氏は会長を退いて相談役となったが、「当社の発展のために創業者が復帰することが最善と判断」として2023年6月に傳氏が再び社長に就任した。
復帰後は業績回復のペースが早まったとされる一方、傳氏は81歳と高齢で、6月には非創業家で専務の芳賀正彦氏が社長に就任する予定だ。
芳賀氏は東北を中心に総店舗数500店舗を目指すと語っている。
過去の失敗を踏まえ、遠方への出店は控え、既存商圏の東北・関東で店舗網を強化する構えで、駅前出店も模索するとしている。取引先や出店調整に関わる実務では、出店エリアを既存商圏に寄せる方針と、夜帯を含むメニュー構成の変更が、調達や店舗運営の前提条件にどう反映されるかが注目点となる。
